当ブログは第二保管庫のためレスポンスは極端に遅いです。 トラックバックやコメントは本家の方にお願いします。 2005年 07月 07日
~中国『遺棄』化学兵器問題考~ その5から続きです。 総体的に見て8月9日前後の日本政府・陸海軍統帥部はポツダム宣言受諾問題に忙殺されており、加えてソ連参戦は想定外の突然のことでもありその対応までは手が廻らない状況であった。 とはいえ全面侵攻を行っているソ連に対し防衛作戦は行わねばならず、大本営は8月10日付「対ソ全面作戦の開始」の大陸命を下達した。 この内容は「皇土朝鮮の保衛」であり、関東軍の任務は満州防衛ではなく満州放棄であった。 しかし、関東軍の決意は「敵侵入企図の破砕」であり、成否は問わず断固として敵に立ち向かうことを明示した。 しかし大本営命令に従ってかねての計画通り関東軍総司令部は新京から満鮮国境付近の通化に移動、満州国皇帝溥儀以下も大栗子に遷都した。 その他虎頭要塞や東寧の勝鬨陣地など全滅を賭して勇戦敢闘した部隊もありますが字数の関係で割愛します。 とまぁ精強関東軍の将兵は貧弱な装備に足りない弾薬、もう書くのも嫌になるほどの練度で優秀な装備に豊富な弾薬、独ソ戦を制して練度十分のソ連兵に対してそれはもうなんつーか涙ぐましくなるような善戦っぷりを見せたと言うことだけは是非書き記しておきたいのです。 また関東軍について回るある神話についても言及しておきます。 その神話とは「関東軍は邦人を見棄てて逃げた」「関東軍と満鉄は自分の家族を先に逃がした」と言うものですね。 まず第一点には「視点の違い」があげられます。 当時の満州には連日連夜どこかの都市が灰燼に帰していた本土と違い空襲が殆どなく、僅かに中国大陸から飛来したB-29が昭和19年7月29日鞍山に約20機、9月8日鞍山・本渓湖に約100機、9月26日鞍山・大連・本渓湖に約90機が襲来した程度でした。 余談ながら、この空襲にビビったのか重要機関や軍需工場をソ連に近い北方へ移そうとしていたという事実もあるようです。 無論満州の一番の脅威はソ連ですが、その脅威からは精強百万関東軍が守ってくれる-しかし関東軍の実態は先程述べたとおり-と思っていました。 と言うことで、「本土より『王道楽土』満州の方が安全だ」と言う空気すらあったようです。 そして満州に住む邦人はその地で生計を立てていますし、今まで築いた財産もあるはずですから、突然ソ連が参戦したからといって生計も財産も全て捨てて着の身着のままに持てるだけの荷物を持って逃げる為に集合しなさいと言われてもいまいちピンと来なかったのではないのでしょうか。 しかし、明確な上下関係があり命令に従うことが職業である軍人・軍属は「集まれ」と言われたら「集まる」のが仕事ですから、その家族も警急参集は容易であったでしょう。 また軍人・軍属の家族は満州に土着した邦人と違い身軽であった事もあげられます。 関東軍は9日にソ連侵攻を知ると即座に満鉄に命令して臨時ダイヤの避難列車を仕立て、避難序列は「民→官→軍」であったそうです。 しかし、前述のように満州は安全と考えられていたことや生活基盤や財産を有する為に邦人は集まりません。 そうしている間も関東軍将兵らの絶望的な勇戦敢闘は続きソ連軍は着々と迫ってくるわけで、臨時ダイヤの避難列車を空のまま発車させる事はできず、ダイヤの都合上遅らせるわけにもいかない。 そうした一刻の猶予もない状況下ではやむを得ず、緊急参集が容易な軍人・軍属と満鉄職員の家族を主体に一番列車に乗せ、新京の場合は11日1340に平壌に向けて出発したが、その後待ち受けていたのは苦難な平壌での生活であった、多くの家族が結局飢えや病気で亡くなった。 しかし、満州で塗炭の苦しみを味わった方々から見れば「関東軍は軍人家族を最初に後退させた」と映る。 ここで蛇足ながら一言付け加えておけば、邦人の中でも機を見るのに敏な人はちゃんと逃げているそうだし、前述のように第一便で着の身着のままの状態で避難した方々の中には、着の身着のまま故に病気や飢えで亡くなった方が多かったそうで、むしろ第二便以降に出発した方々の方が生還率は高かったと言われているそうです。 が、それらを考慮してもこの説には異を唱える向きも多い。 特に半藤一利氏は「ソ連が満州に侵攻した夏」でこう書いている。 ■関東軍将兵の肉弾に次ぐ肉弾による絶望的・悲壮的な勇戦敢闘には素直に頭を垂れなければならないのである。 しかし、関東軍上層部の「無覚悟・不決断・無責任」-例えば元関東軍参謀瀬島隆三の関東軍総司令部通化撤退に対する綺麗事-にはどれほどの言葉を費やしても、筆舌を尽くしても、罵り足りないのである。 一体何が、一体どれが真実なのであろうか? 恐らくは、何もが、どれもがその人にとっての真実なのである。 まだこれらのことを「歴史」とするには時間が足りないように思えてならないのである。 また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、 その時こそ、正義の女神は秤の平衡を保ちながら、 過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。 ラダ・ビノード・パル 書きかけ。
by bosc_1945
| 2005-07-07 01:00
| 「バカの壁」シリーズ
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