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2005年 01月 28日
【主敵削除へ】 日英同盟復活? 【最も偉大な・・・】
韓国国防白書、「北朝鮮は主敵」削除へ 1月28日20時54分 (読売新聞)
 【ソウル=浅野好春】韓国国防省が2月に発刊する「2004年度版国防白書」から、北朝鮮を「主敵」とする文言が削除されることになった。

 同省が28日、韓国マスコミ幹部向けに配布した資料の中で公表した。「主敵」が消えるのは、95年度版国防白書で初めて使用されて以来、10年ぶり。

 韓国では「主敵」の是非をめぐって国内論争が起こり、2001年度版から3年連続で白書刊行自体が見送られていた。「主敵」をはずすのは、対北融和政策を進める盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の意向を反映したものだが、野党ハンナラ党は「時期尚早」と批判している。

 公表資料によると、<1>北朝鮮は、韓国への直接的な敵対表現を自制している<2>南北関係は、交流・協力と軍事的対峙という二重性、特殊性を持つ<3>諸外国でも特定勢力を「敵」と指し示す事例はない――などの理由から、北朝鮮全体ではなく軍事力に限った表現に改める予定。資料は新たな用語には触れていないが、韓国マスコミは、国防省がこれまで「主脅威」「軍事脅威」などを候補に調整を進めてきたと報じている。

 ただ、国防省は、今後も兵士の精神教育教材など軍内部文書では「敵」と位置づける文言を従来通り使用する、としている。


 これに対し、保守的な野党ハンナラ党は「『主敵』削除は時期尚早で、わが国の安保の現実を無視した行為」と批判している。

 「主敵」の言葉は、94年3月に板門店で開かれた南北会談の席上、北朝鮮代表が「戦争が起きればソウルは火の海になる」と発言したのを契機に、95年度版白書から使われ始めた。
■北韓の浸透作戦は順調にいっているようですね。

自衛隊駐留地域に英軍600人派遣…オランダ軍撤退後 1月28日2時30分 (読売新聞)
 【ロンドン=土生修一】英国のフーン国防相は27日、自衛隊が駐留するサマワのあるイラク南部ムサンナ県からオランダ軍が3月に撤退した後、約600人の英軍を治安維持のため同県に派遣すると発表した。

 英国防省報道官は読売新聞に対し、「自衛隊は我々の保護下に入る」と述べ、オランダ軍に代わり、イラク治安部隊と協力し、自衛隊の安全確保を担う方針を明らかにした。
■との事、一部報道では「戦闘部隊600人+兵站部隊220人」の総勢820人となっていますが、どうやらこれは「総勢620人、400人は在イ英軍からの抽出+本土から追加派遣される兵站部隊220人」のようです。

で、我が国の反応は・・・
英軍のサマワ駐留を歓迎=細田官房長官 1月28日13時0分 (時事通信)
 細田博之官房長官は28日午前の閣議後の記者会見で、陸上自衛隊が活動するサマワを含むイラク南部ムサンナ州の治安維持を英軍が担うことについて、「はっきりとした規模、考え方についての発表があったことを歓迎する」と述べた。
 また細田長官は英軍部隊の規模が600人とオランダ軍の半分以下となることに関し、「相当な根拠があってのことだと思う」と述べ、治安維持に支障ないとの見方を示した。
■無論好意的ですね。
他紙報道によれば、派遣される英軍が現在駐留している蘭軍1400人の半分程度となった理由は

・サマーワの治安が比較的安定している事。
・英軍が蘭軍が育成したイラク治安部隊との混成が可能である事。


だそうですね、産経の「主張」でも
産経「主張」 2005年1月30日 (産経新聞)
【主張】英軍サマワ派遣 協調し復興支援の結実を

 自衛隊が駐留するイラク・サマワの治安を担当するオランダ軍が三月に撤退した後、イギリス軍が約六百人の部隊をサマワ周辺に派遣することになった。

 ブレア英首相は英国内の世論を受けてオランダ軍が撤退しても、イラクに兵力を増派しない方針を示していただけに決断を評価したい。

 英政府はイラク国民議会選挙に対処するため、既に四百人を増派し、現在の駐留規模は約九千人だ。サマワに駐留する約六百人のうち、四百人は既に展開している部隊を転用し、本国からの増派は二百二十人となる。イラクの平和と安定に対する英政府の断固たる姿勢の表れである。

 英軍の規模はオランダ軍の千四百人より少なく、危惧(きぐ)する声もあるが、オランダ軍の協力でイラク治安部隊が育成されている。日本としてもこれまで以上に各国と協力して、不安な点を除かなくてはならない。

 一昨年八月からサマワの治安維持を担ってきたオランダ軍には謝意を表明したい。陸自先遣隊が昨年一月、イラク入りして以来、陸自部隊を全面的に支援してくれた。

 治安維持ではオランダ兵二人が尊い犠牲になった。何者かが昨年五月、サマワ中心部を警備中のオランダ兵に手榴(しゅりゅう)弾を投げつけたことなどによる。自衛隊の人道復興支援活動も、オランダ軍が作り上げた治安の基盤があってのことである。

 ただ、三月以降もサマワ周辺の治安状況は予断を許さない。これまで陸自の宿営地に向けて発射された迫撃弾やロケット弾は九回を数える。防衛庁は迫撃砲を探知する「対迫レーダー」など、万全の措置を講ずるべきだ。

 イラク第一次派遣群群長だった番匠幸一郎一佐は「周りを敵意の海ではなく、友好の海にする」と、住民と同じ目線の「自衛隊流」を浸透させた。自衛隊員に一人の負傷者も出ていないのは精強さだけでなく、住民の支持を広げた努力のたまものである。

 一方、友軍が仮にテロリストに攻撃されても、自衛隊は武器を持って救援に行けない。国際基準にのっとった武器使用が認められていないためだ。国際公共財として自衛隊を活用するためにも日本だけしか通用しないルールは早急に見直さなくてはならない。
■まぁ、結論が産経らしいと言えばそれまでですが、オランダへの感謝というのは同感ですね。
 
で、また話はどうでもいい方向にいつもの如く行く訳ですがw
昨日のNHKスペシャルで「自衛隊はイラク派遣に際し旧軍の北支作戦の住民鎮撫の方法を研究していた」というのをやってましてね。
で、自衛隊研究本部だったか防衛研究所だったかの偉い人が「旧軍だって良いところもあれば悪いところもある、旧軍の戦史を真っ正面から研究してフィードバックするのは当たり前」と言う内容の世が世なら首が飛びかねない発言を平然となさっているのに時代を感じたりしてましたw
海自のように「我こそは大日本帝国海軍の後継者」という金看板を背負ってるならともかく、陸自という組織はまず警察予備隊から始まったと言う事もあり徹底的に「大日本帝国陸軍」を排除している事で有名なんでまぁ驚いた訳です。
まぁそのときは漠然と「ああ、またこれでアホのサヨク共に自衛隊は叩かれるのかなぁ」などと考えてました。

で、今朝記事の

>イラク第一次派遣群群長だった番匠幸一郎一佐は「周りを敵意の海ではなく、友好の海にする」と、住民と同じ目線の「自衛隊流」を浸透させた。
>自衛隊員に一人の負傷者も出ていないのは精強さだけでなく、住民の支持を広げた努力のたまものである。


と言う部分を読んで、改めてふと思い出したのは、以前読んだ白善燁氏の「若き将軍の朝鮮戦争」の間島特設隊の間島治安維持作戦と北支平定作戦の記述なんですね。

簡単にあらすじを書くと、著者の白氏が満州国軍新京軍官学校(士官学校)を1941年に卒業し、満州国軍官になり43年に間島省延吉県明月鎮にある「間島特設隊」と言うところに転任します。
「間島特設隊」は間島省-現在で言うところの延辺朝鮮族自治州-の国境警備隊が母体でずいぶん精強な部隊であったそうです。
余談ながら、朝鮮戦争で活躍した韓国軍将星、例えば第一軍団長として勇戦した金白一将軍、特に連隊長クラスで活躍した人の多くはこの間島特設隊の出身だとか。

で、その「間島特設隊」が1944年日本軍の「一号作戦」通称「大陸打通作戦」に伴い治安任務を負っていた部隊の多くが野戦任務に就くようになり、特に八路軍が活動していた北支では二個中隊以下での行動が禁止されるほど治安が極度に悪化した為、間島特設隊が北支に転出し北支那特別警備隊の指揮下に入り治安維持にあたると言う話です。

その間島特設隊が北支に転出する直前にこう言う結論に達したそうです。

>(某S注・北支から)どうすれば生還できるか。日系軍官も一緒になって考えた。
>結論は、満州東部でやった以上に民弊を及ぼさないように行動しよう、そうすれば民衆の海が我々を守ってくれるだろうと言う事であった。
>ゲリラが実践していることを、逆に我々が演じるのである。
(前述書・P77より)

この一致は偶然ではないですね。

では現地の声を二つほど。
「英軍も蘭軍も同じだ」 サマワ住民冷ややかな反応 1月28日9時35分 (共同通信)
 【サマワ28日共同】陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワを中心としたムサンナ州に、オランダ軍に代わり英軍が駐留することが27日、公表されたが、サマワでは英軍を歓迎する声はほとんどなく、「英軍もオランダ軍も同じ」などと、冷ややかな反応が目立った。
 警察官のアハマド・ダーヘルさんは、オランダ軍も英軍も「大きな違いはないよ。どちらも多国籍軍の一員だし、治安維持のため協力する」と淡々とした口調。商店主のカメル・アジズさん(38)は「イラク人の正統な政権ができたら出て行ってほしい」と外国軍への反感を示した。
 地元紙記者は、英軍が前世紀初めイラクを占領し、サマワ周辺で戦闘が起きたことを踏まえ「歴史的に微妙な感情があり、住民は歓迎しない」と説明。「また戦いが起こるとは思えないが、英軍に従わないケースは出そうだ」とみる。

「紳士的なら英軍歓迎」=サマワ有力宗教指導者-オランダ軍撤収に数週間・イラク 1月28日17時2分 (時事通信)
 【サマワ28日時事】オランダ軍撤退後に英軍が治安を肩代わりすることが決まったイラク・ムサンナ州。陸上自衛隊の宿営地がある同州サマワのイスラム教シーア派の有力聖職者マード・アルワイリ師は27日、インタビューに応じ「英軍が市民に紳士的に接するなら歓迎する」と話した。ただ、市民の間では「米軍の盟友が来ることでテロが増える」との声も聞かれる。
 アルワイリ師は「治安を維持するためには多国籍軍の力がまだ必要だ」と指摘し、「これまでオランダ軍はよくやってくれた」と評価した。

 イラクが英国の委任統治から独立した歴史的経緯から、抵抗を感じる市民がいるとの懸念については「過去のことであり、反発する者は少ないはずだ。オランダ軍のように市民から親近感を持たれるよう努力すれば何の問題もない」と強調した。
 一方、同州のある部族長は「唯一の気掛かりは、英軍が米軍と密接な関係があること。(反米闘争を呼び掛けるシーア派の)ムクタダ・サドル師派は反発するのではないか」と指摘する。サマワのサドル派幹部は「英軍は米軍同様、占領軍だ。国民議会選挙が終われば、われわれがどういう行動を取るか分かるだろう」と話している。
 オランダ国防省によると、ムサンナ州に展開する約1350人の兵士が撤収するには数週間かかり、約350人が英軍への引き継ぎや残務整理などに当たるという。
「さすが共同」とだけ言っておきますw

おまけ。


2004年の「最も偉大な英国人」にWWW発案者 1月28日15時14分 (ロイター)
 [ロンドン 27日 ロイター] ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の発案者として知られる英国のティム・バーナーズ・リー氏が27日、2004年の「最も偉大な英国人」に選ばれた。
 謙虚さと才能に加え、利他的な姿勢が評価された。
 審査員として選考に参加した歴史家のデービッド・スターキー氏はロイター通信に、「(バーナーズ・リー氏は)自分の発明を商業的には利用しないことを選び、ほとんど頑固と言えるほどの態度でこれを公開した。もしこれを完全に利用していれば、今日ではビル・ゲイツ氏が貧困者に見えるほど(の富を得ていた)だろう」と語った。
 バーナーズ・リー氏は、スイスの研究所に在籍していた1990年に、外国にいるときでも同僚同士が一緒に研究できることを目的として、WWWを発案。しかし翌年、その特許を取得せず、インターネットに開放してすべての人がアクセスできるようにする方法を選んだという。
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2004年の「最も偉大な英国人」にWWW発案者
1月27日、WWW発案者として知られる英国のティム・バーナーズ・リー氏が
2004年の「最も偉大な英国人」に選ばれた。
昨年6月撮影(2005年 ロイター/LEHTIKUVA)(ロイター)15時14分更新

■えー、英国繋がりと言う事でw
しかし

>「(バーナーズ・リー氏は)自分の発明を商業的には利用しないことを選び、ほとんど頑固と言えるほどの態度でこれを公開した。もしこれを完全に利用していれば、今日ではビル・ゲイツ氏が貧困者に見えるほど(の富を得ていた)だろう」

こう言う頑固-もはや頑迷?-な所は「ジョン・ブル精神」と言ったところでしょうかね。
我々がこうしてブログを運営したり、コメントを書き込めるのも「2004年の最も偉大な英国人」ティム・バーナーズ・リー氏のその頑固さのお陰なんですね。

感謝感謝(-人-)...

by bosc_1945 | 2005-01-28 00:00 | 自衛隊・イラク関連


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