当ブログは第二保管庫のためレスポンスは極端に遅いです。 トラックバックやコメントは本家の方にお願いします。 2005年 01月 22日
■およよ、ザル法ですか。 ■パウエルさんお疲れ様でした。 最期まで立派な素晴らしい軍人でした。 >国際協調を重視したブッシュ政権を代表する穏健派の告別の辞は、成果を誇るだけでなく無念の思いをもにじませたものとなった。 この部分も別に氏が国際協調を重視しているとか穏健派であるという訳ではなく、氏の35年の軍人としての生活、特にベトナム従軍経験が生み出した「パウエル・ドクトリン」に忠実であっただけなんですね。 統合参謀本部議長として指揮した91年の湾岸戦争の際に「戦争は最後の手段」「目的を限定し、圧倒的な兵力を投入する」などのパウエル・ドクトリン(ワインバーガー・ドクトリン?)を貫いて成功を収めた有名になった訳ですが、これと対照的なのがイラク戦争。 確かにイラク戦争での米軍の進撃速度はまさに「破竹の勢い」だった訳で、開戦後8日にして早くも首都バクダッドへ50マイルの地点に到達、16日目にはバクダッド国際空港を占領、20日には首都中心部に達した訳ですね。 戦争は終わった。 しかしまぁ、そのあとは成功したとは言いがたい訳で戦後復興計画が杜撰で具体性を欠き、しかもそのための訓練を兵士達は受けていなかった為にその後は後手後手に回ります。 侵攻と戦後の治安維持の両方を命じられた当時のトミー・フランクス中央軍司令官はあまりに迅速に勝利を収めた場合兵力不足のまま首都バグダッドを占領することになると警告していたそうですが、ラムズフェルドは聞く耳を持たずじまいだったとか。 そもそも2001年のイラク攻撃計画では兵力を50万と想定してたらしいんですね。 開戦前に日系のエリック・シンセキ陸軍参謀総長がイラクを占領するなら地上軍は数十万必要だって上院で証言したらすぐにクビ。 根本的なところで、ラムズフェルド国防長官のラムズフェルドドクトリンとは簡単に言えば、ハイテクを駆使した部隊や身軽な特殊部隊、民間軍事会社も使いつつ機動力に富んだ少数の部隊を機動的に動かしてパパパッと勝とうと。 鈍重でも部隊を大量に動員して一歩一歩着実に前進するというパウエル・ドクトリンの想定するような軍は前世紀の遺物だと言う事です。 ラムズフェルド氏は「ラムズフェルドドクトリンについて」こう言っています。 「(ラムズフェルドドクトリンではなく単純な)物理学の法則だ。この場合、速さは量よりも重要だということだ」(括弧内某S氏) と。 質量(兵力数)が2倍になればエネルギーは2倍だが、速さが2倍になればエネルギーは4倍になるという物理学の法則になぞらえて、小規模兵力を迅速・機敏に展開するラムズフェルドドクトリンの有効性と正しさを強調しているのでしょう。 しかし、土地を占領できるのは唯一歩兵だけと言う軍事の基本中の基本が抜け落ちてる点が問題なんですね。 で、50万必要とされた兵力をラムズフェルドが値切りに値切って、最後には米軍二四万、英軍四万、うち地上軍はすべてひっくるめて一八万で一路バグダットに向けて進撃した訳です。 しかし、常識的に考えて全土の治安維持に50万必要とされている兵力が18万しかないとどうなるか。 半分以下では到底治安維持はできないし、それに輪をかけるように戦後復興計画が杜撰で具体性を欠き、しかもそのための訓練を兵士達は受けていなかったとなればもう結果は目に見えている訳ですね。 参考リンク ・【質問】 なぜ戦闘が終わっても,なかなか米軍はイラクの治安を回復できないのですか?(軍事板常見問題) ・【質問】 ストライカー旅団があれば戦車は無用なのか?(軍事板常見問題) で、氏の退任挨拶の訳を発見しました。 その一節 ■軍人であるが故に戦争を知り、戦争を知るが故に戦争を嫌う。 誠に希有な人物でありました。 ■ニヤ(・∀・)ニヤw 「私は北朝鮮には圧力はかけるが、NHKには圧力はかけませんから。」 ■自分で墓穴ってさぁw
by bosc_1945
| 2005-01-22 00:00
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